ヒプマイ語り

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一二三と独歩について②

あなたのひかり - トワのマンガ - pixiv

  

「一二三の言葉に救われる独歩」が表現したくて描いた漫画でした。

 

独歩の世界は自分の周りがぼんやりと見えるだけで、その周りは真っ暗闇なイメージがありました。そしてその何も見えない周りの暗闇から度々自分に投げ込まれるものがあったり、鋭い音が独歩を刺してくるので、世界とは恐ろしいものだと感じているのではないかと考え、暗闇をさまよう独歩を描きました。

 

そしてチグリジアにて「生きがいも別にないよ」と言っている独歩にとって、生きる意味とは何かというのはずっと彼の根底にあるテーマだと感じているので、このことをハッキリと問うても良いと思いました。

 

「自分を責めるもうひとりの自分」も表現したくて、独歩自身を叱責する独歩も描こうと思いました。

人は自分が信じるものしか信じようとしないし、自分が想定している世界を補強する事実ばかり積極的に認知するものだと思っています。なので、独歩が普段から他人に責められていると感じるのは、元から独歩が自分自身を責めていることの現れだと思います。他人から責められることを無視して切り捨てず、受け入れてそれを認めているのは他ならぬ独歩だからです。

独歩のネガティブ思考は、「自分はダメな存在なんだ」という思い込みを補強しようとする心の動きだと思います。それは辛いことであるはずですが、ダメな自分を裁かなけれなばらないという独歩の思う正しさを実行しなければならないことが優先されているのだと思います。

 

そして「自分」とは多面的であり常に変化していく存在です。だからこそ「自分」見失いがちで、そのことに不安になります。

しかし、そうやって生きる価値について考えていっても独歩の中では答えは見つけられず、そのまま独歩は自分の世界に沈み込んでいきます。

独歩にはこの世の中で生きていくことが、水の中で溺れるように息苦しいといったイメージもあり、水底深くに落ちていく様子で表現しました。

 

 

そんな中で、一二三は自分で自分を押し殺そうとする独歩を救いたいし、助けてあげたいと思い、独歩の暗かった世界を照らす光になると宣言します。

さらに、一二三はそのことと引き換えに独歩に自分の光になるように頼みます。一二三もまた独歩と同様に現実に苦しむ人間であるからです。

 

それはある意味独歩に自分のために生きて欲しいという一二三のエゴであり、独歩の生き方に大きく影響してしまうものです。

ただ、一二三はそのことをしっかりと自覚した上で発言すると思うので、慈悲の心だけではないことを、ただの光一辺倒としての発言ではないのだと、不穏さも表現できていたらいいなと思っています。

 

でも、それは独歩からすればそうやって自分を求めてくれることが喜びですし、自分を必要としてくれたこと、自分の価値を認めてくれたことを嬉しく思って、その一二三の思いに感謝して恩返しをしたいという気持ちを伝えてほしいと思って最後の台詞を言ってほしいと思いました。(ここで一二三の光になるので、独歩の髪の蛍光色がつきます)

 

そもそも共に生きるということは相手を縛り合うことでもあるので、2人が一緒に手を取り合うことはこのつらい世界で生きていくための生存戦略であったのだということを描けたらいいなと思いました。

 

独歩の思考は内面を掘り下げていく、一二三の思考は周囲と自分の立ち位置を捉える傾向があるのではないかということでこのような話の流れになりました。

というわけで、一二三が独歩にとっての光であり、またその逆でもあった話を、彼らの髪の蛍光色と併せて表現したいと思った漫画でした。

 

 

 

一二三も独歩も2人とも自分という定義が歪で、過剰でな部分と不足している部分が極端な人達だと思います。人間がアンバランスな存在であることは当たり前なのですが、特にこの2人はそのバランスが人一倍脆いので、きっと1人じゃすごく生きづらかったと思います。

でもこの2人は一緒にいることでその凸凹がうまく噛み合って安定する、お互いが唯一無二な存在な感じがして好きです。

 

一二三と独歩という幼馴染はただ長い時間を共有しているというだけではなく、お互いが相手の存在の仕方や世界との向き合い方を定めてしまった感じが本当に好きです。もはや魂レベルでの繋がりというか、運命共同体な2人だと思います。

 

 

一二三と独歩の2人は確かに「共依存」であると言えるとも思うのですが、ちゃんとお互いの生き方を尊重しあえているので「共存」という関係の方が個人的にはしっくりきます。

一二三と独歩は見えている世界の次元が違うので、ある物事に対して意見が競合するみたいなことが起きなくて、「まあ俺は俺だし、お前はそうなんだろうな」っていう理想的な距離感が保てている感じがしています。

服従と支配の上下ではなく、お互いを尊重できる関係性を保てているのが、一二三と独歩の在り方の美しさだと思います。

 

 

というわけで、私の考える「一二三と独歩がお互いを照らし合う話」についてでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました! 

 

 

 

(「一二三と独歩について①」はこちらです)

hp-twilight.hatenablog.com

 

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