ヒプマイ語り

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一二三と幻太郎について&伊弉冉一二三について

私なりの愛 - トワのマンガ - pixiv

一二三と幻太郎の漫画を描きました。ここで表現したかった2人の関係性の面白さについて書いていきたいと思います。

 

 

 

一二三と幻太郎

一二三と幻太郎がお互いを毛嫌いするのって、考えている次元が近いのにそのベクトルが真逆なので、手にとるように相手の考えていることが分かると同時に絶対に自分とは分かり合えないということをひどく実感できてしまうからかなとか考えたりしていました。

(一二三と独歩は見えてる世界の次元が違うので競合するみたいなことが起きなくて、「まあお前は俺は俺だし、お前はそうなんだろうな」っていう自他の境界線がハッキリしているから大丈夫なんだと思います。)

 

一二三と幻太郎は精神的な活動範囲が同じニッチな感じがします。だから競争排除せずにはいられないというか…生態系における種の存続の戦いっぽさがあると思っています。

何か余計な一言を言っちゃう相手って、直感的にその相手が自分にとっての脅威だと感じる時だと思うんですよね。だから釘を刺しておかないとみたいな…一二三がなんで初めて幻太郎に会った時にあんなに突っかかったのかというと、ここで牽制しておかなきゃみたいな自己防衛の意識があった感じがします。

一二三と幻太郎の2人って、相手の気持ちに共感して相手を理解するんじゃなくて、相手の中にある自分の要素を見出すことで理解するから、常に自分の合わせ鏡を見ているような気持ち悪さがあって欲しいな、とか思ってます。

 

 

 

似ている部分

実際、一二三と幻太郎って似ている部分が多いなと思っていて。

似ていると思うものをこの漫画での台詞ごとに書いていきたいと思います。

 

(1)「過去に囚われ」

一二三は女性にひどいことをされたという過去に、幻太郎は孤独な青年時代を過ごしたという過去に、今の言動が規定されている部分があると思っています。

一二三は過去の出来事によって女性恐怖症になっていますし、幻太郎の他者と関わる当事者になることがあまりできず、部外者という立場に追いやられていたからこそ人間観察の癖がついたのではないかと考えています。

実際BBBの歌詞でも一二三は幻太郎のこと「過去に生きてる」って指摘していたと思います。一二三は幻太郎が過去にとらわれていることをちゃんと見抜いているんだと思います。

しかし、人間って「自分が知っている/経験した感情/視点」でしか相手を理解できないと考えているので、「過去に生きてる」ことを指摘した一二三もまた「過去に生きてる」って宣言してるようなものだと思いました。そういう指摘ができるのは、一二三がまさに「過去に生きる」状態を体感しているからこそで、やっぱりどうやってもこの2人は魂レベルで共鳴してしまう部分があると思います。 

 

(2)「モノに執着し」

また、服装に執着しているのも共通点だと思います。一二三はジャケットを着ることでホストモードに、幻太郎は青年という存在を覚えているために。

 

(3)「他者を拠り所としている」

一二三は独歩がいないとやっていけないでしょうし、一二三が独歩を頼っているのはわかりやすいと思います。

そしてまた幻太郎も、「友達」という他者に人一倍執着していると思います。

ヒプラジで「友達ならお金はあげるものだ」と言い切っていたのが私にとって衝撃的で、友人のためなら多少自己犠牲的な部分があっても構わないと思っているような節がある気がします。幻太郎は青年という大切な存在の喪失を経験しているからこそ、友人との繋がりが切れることを人一倍恐れているのではないかと思います。

なので、私は一二三と幻太郎の2人とも他者という存在を自分の一部に取り込んで生きている人たちだと思っています。

 

 

 

違う部分

一方で、やはり別々の人間なので違う部分もあります。

そして一二三と幻太郎はそれらがすごく対照的なところが面白いと思っています。

 

一二三は自分を誇りに思って生きてきたのに対して、幻太郎はどこか卑屈さや劣等感を抱えながら生きてきたという違いがあると思います。

一二三はその端正な容姿と人懐っこい振る舞いできっと昔から人気者だったと思いますし、言葉にも自信が満ち溢れているのを感じます。女性恐怖症という弱点がありながらも、それを克服したジゴロという人格によって見事強みに変え、シンジュクNo.1ホストの地位まで登りつめています。

一方、幻太郎はそうやって自分を無理矢理変えるということはしてなくて、ただどこか悲しさや寂しさを抱えたまま、小説家の仕事をこなし、ポッセの仲間と遊びながらなんとなく日々を紛らわせて生きている。

 

そうやって一二三は「弱さを否定すること」を、幻太郎は「弱さを肯定すること」をして生きていると思います。

だから幻太郎はちゃんと「人間は弱いものだ」と言えると思いましたし、一二三は「誇りを持って生きてきた」と返すと思いました。

 

ただ、寂雷先生の迷宮壁において「強さを認める弱さ」「弱さを認める強さ」ってあったと思うんですけど、自分を脆い存在だと自覚している幻太郎からすると、今の一二三って「自分の弱さを否定するという自傷行為をしながら生きている」ように見えると思います。

「貴方が殺してきた貴方」「貴方が否定してきた貴方」「貴方が大切にしなかった貴方」という台詞で表現したかったのは、女性が怖いという感情もまた紛れもない本当の一二三の一部で、それらを否定するのは自己否定であり、それらを無視することは自分をないがしろにすること。たとえどんなにマイナスな感情であったとしてもそれもまた尊ぶべき自分の一部であるのに。そのことを幻太郎は一二三に突きつけてくるような気がしました。

たくさん積み上がってる一二三はこの漫画で「明日の一二三」が捨てていた「今日の一二三」みたいなイメージです。 

またあした - トワのマンガ - pixiv

そして幻太郎は一二三がなかったことにしていた、見ないふりをしていた「本当の一二三」を突きつけてくるので「捨てていた一二三」がドサドサ降ってきています。

 

 

 

一二三の強さ

一二三って言動だけ見てるとチャラいですし、ヘラヘラしてるキャラなのかな?と一瞬感じるんですけど、実は彼の考え方はめちゃめちゃシビアで、弱けりゃ負けるし、強くないと生きていけないし、半端な気持ちじゃどこにもたどり着けないというかなりストイックで完璧主義に近い価値観が見え隠れしてるのを感じます。

そしてそれは確かに強さなんですけど、私には一二三が未来の自分を担保に強さを前借りしているように感じます。

一二三は自分の弱い部分を完全にシャットアウトしているからこそ、痛くないから無茶もできる。女性への恐怖心をなかったことにすることで完璧なホストとして振る舞える。

でもそれって女性に対する恐怖という痛みがなくなってるわけではなくて、ただ自分の部屋の隅にゴミを寄せているだけのようなもの。本質的には解決してなくて、そのゴミをちゃんと部屋の外に捨てて自分の中から出さなければ、いつかゴミが部屋を覆い尽くしてしまう。そしてその先に待っているのは最悪の場合精神が崩壊することだと私は思うので、今後のヒプマイでも「今の一二三」を許容しない展開があるような気がしています。

 

始めてこの2人が出会ったとき幻太郎の「心の痛み」を無視して服装のことを煽り続けたように、一二三は他者の痛みに少し鈍感な部分があると思います。独歩のネガティブさもどこか面白がっていたり、翌檜ちゃんに対しても「11ちゃい〜?ただのガキじゃん!」と思いっきりからかっていたりしました。

でもそれって、そもそも一二三が自分の痛みを感知する部分がすでに麻痺しちゃってるというか、痛みのセンサーがもうボロボロだからこそ、他者の痛みにも鈍感になってしまっているからではないかと考えています。

実際、一二三って基本的に自分に対して言われた言葉に痛みを感じて怒ることがあまりなかったように思います。デスリスで理鶯にdisられたときも真っ向から言い返すと言うよりかは軽くいなすスタイルでした。ストーカーの女の子と接したときも、一二三が怒ったのは「独歩に対する言葉」に対してなのであって、一二三自身に関してはかなり無頓着だったのが印象的でした。

一二三は強さを手に入れるためにそうやって自分の中の痛みを切り捨てて、代わりに独歩を自分の感情の基準にすることで精神を保っているのではないかと思います。

 

そして幻太郎はその一二三の身を削るような生き方を不快に感じているのではないかと思いました。幻太郎も自己犠牲な部分があるとは言え、自分を傍観者として世界との線引をすることで自分と他人との境界線を保っているので、一二三の前のめりすぎるというか、生き急いでいるというか、やっぱりどこか切なすぎる在り方を認めたくないと思うんじゃないかと考えました。

一二三がその天真爛漫さで隠し通してきた心の裏の仄暗さとか人間として真っ当な卑劣さを、一二三と幻太郎の感性が近いことに加えて、今までに蓄積してきた人間観察の経験により培われた洞察力のために幻太郎はそれを見抜いて見据えて見定めてしまうんだろうと思います。

(独歩は一二三の傍にいすぎたせいで一二三のあらゆる側面を一二三として認識して受け止め、それを自然なものとして認めてしまうから気づくということがなさそうに思います。)

 

 

 

幻太郎の他者との関わり方

一方の幻太郎って、帝統と接するときみたいに「嘘をついたりして人をからかって遊ぶ」関わり方をするので、相手が嫌がる姿によって自分が他者に関われたのだと認識して嬉しくなる部分がある人間なんだと思います。

で、そんなちょっとどうしようもない幻太郎の性格を一二三は「なんて良い性格なんだ!」と皮肉ってやる、みたいなイメージでした。

 

こうやって一二三に突っかかってくるのは、上で述べたように一二三の生き方が嫌いだし一二三の言動は耳障りだし癇に障るし癪に障るからだと思うんですけど、でも一二三に抱いてしまう感情って単純に「嫌い」一言で言い表せるほど簡単ではなくて、よくわからないけどすごく大きくて、「好き」でもあるし「嫌い」でもある愛憎入り交じるものな感じがします。

だから「大好き」だし「大嫌い」とも言わせたいと思いました。

 

そんな膨大な感情と微妙な距離感がすごく味わい深い2人だと思っていて、だから私はこの一二三と幻太郎という組み合わせが大好きです。

 

 

 

というわけで、一二三と幻太郎の似ていて対照的な2人についての話でした。ここまで読んでくださってありがとうございました!

 

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