ヒプノシスマイクの対称性の美しさ
ヒプノシスマイクが美しい対比のキャラ配置によって彩られていることに毎回感動してる。
「デザインは配慮だ」って言葉が忘れられないんだけど、「分かりやすさは相手への配慮であり、より多くの人に伝わるということは様々な人を想定し、どんな人でも納得出来る本質を捉えている」ってことなんだって考えてる。
そういう視点で見てみると、ヒプノシスマイクのキャラクター達は明確な対比構造によって配置されていて、情報のデザインがすごく上手いと感じてる。
もちろん魅力的なキャラクターに溢れている作品はたくさんあると思う。
ただ、ヒプマイにおいて抜きんでているのは配置の対称性の美しさだと考えてる。
それぞれのディビジョンはどこも3人で構成されていて、そして絆だったり信頼だったり賭けだったり敬愛だったり打算だったりで繋がるメンバーの関係性はどれ一つとして同じではないからこそ、ぶつかるときにそれぞれのチームの戦い方が違ってくる。そしてそこにはチームの中での関わり方が反映されているわけで、バトルによってそれをより深く知ることが出来る。
また1番手・2番手・3番手同士でバトルしていくわけだけど、一人一人の個性や思想や流儀や信念や感情、そして生き方がぶつかることによって、その人物が元々持っていた魅力がより一層浮き上がってくる構造になっていると思う。
つまり、ヒプマイは3人で1チームとなり戦っていくというシステム上、「他者との繋がり方」と「そのキャラクター個人」の二重の意味での対比構造が生まれている。
バトルのルール上人数を余らせるわけにはいかないというメタ的な理由なのかもしれないけど、だからこそ機能美のような無駄のなさが生まれていて私はそこに良さがあると認識してる。
あるディビジョンやキャラクターのことを考えているとその反対側に立っているチームや人物のことまで見えてくる瞬間は本当に嬉しくて楽しくてたまらなくて大好き。
例えば、ディビジョンごとではイケブクロとヨコハマは「未完」と「完成」、シブヤとシンジュクは「個人」と「連帯」という対比の見方ができると思ってる。
キャラクターごとで言うと、一郎と左馬刻は「向こう側を向く長兄」と「こちら側を向く長兄」、乱数と寂雷は「子供ぶる大人」と「大人ぶる子供」という対比があると思ってる。
もちろん人によって別の対比が見えてくるだろうし、他の組み合わせについても色々考えられると思う。
でもこうやって比較することでキャラクター同士の関係性やそのキャラクターの持つテーマがより鮮明に理解できる気がしていて、こういう楽しみ方がしやすく、かつどのキャラについても対比できるのがヒプマイの良さだと思ってる。
そして今までの4ディビジョンにオオサカとナゴヤも追加されたわけで、これからどんな戦いを見せて、どんな対比を示してくれるのかが本当に楽しみ!
オオサカもナゴヤも今までの4ディビジョンと被ることなく、かつそれぞれの人物像が新しい領域において圧倒的な質量を持っていて、いかにもヒプマイらしいキャラクター達だなと思える子たちばかりですっかり安心してしまったし本当にワクワクしてる。
次のバトルシーズンではどことどこがぶつかるんだろう。その組み合わせも含めて期待が高まってる!
というわけでヒプマイだからこそ生まれたであろうシンメトリーの価値がすごく素敵だと思っているという話でした!